ゲーム系海外フォーラムNeogafより
(投稿者)
特にRPGやファーストパーティータイトルに関して、北米やヨーロッパのほとんどのゲームスタジオがフルボイスに移行しつつある。しかし、日本製のゲームはというと、今でも会話の大半でテキストを読ませる形式だ。一部の場面でボイスが入っている作品でも、ほとんどはボイス無しのテキストボックスを読むことになる。
僕がプレイした最近のゲームでは『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド』『龍が如く』『グラビティデイズ』等々…、任天堂やソニーの他のタイトルもこんな感じだった。ムービーパートの間に少しだけボイスが入ることもあるんだけど、会話の大半はボイス無しのテキストボックスを読む形式だった。
この地域的違いは一体なぜ生じたんだろうか?
[via]goo.gl/EG31Cv
(この投稿へのコメント)
声優のギャラ
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なぜか?
それは大して重要じゃないからだな
┗俺は全く逆の意見。ボイスは無くてもいいんだ。例えば『ドラクエ11』はボイス無しだった。でも期待していたゲームが酷い棒読み演技で作品を台無しにしてしまっていたら、みんな袋叩きにしてるだろ?上手い声の演技はたとえ最悪の会話でも良い感じに変えることができる、その逆もまた然り。
自分は文字を読むためにゲームをプレイするわけではない。文字を読みたいなら本を読めばいい。
>1
『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド』は予算と伝統が理由
『龍が如く』は予算が理由(彼らは他の部分にその分の金をつぎ込んでいる)
『グラビティデイズ』は予算
声優を雇うためには金がかかる
テキストを読む労を厭わない文化
日本語テキストへのプライド
これはビジュアルノベルが3Dムービーではなく2Dイラストを使う理由と同じだろう
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でも実際、テキストの方がより多くの会話を盛り込めて予算を守ることにもつながるよ
まあもっと面白い謎はなぜゲームの声優にボーカロイドを使わないのかってことだな
┗それをやるとこういう感じになるから。
このゲームではボーカロイドのようなボイスシンセソフトを使ってちょっとした会話を行えるんだけど、音声はまだまだロボット。 ボーカロイドの声が現実的になるまでまだ数年以上はかかるだろう。
小規模なインディーズスタジオなら予算の問題というのは分かる。でもソニーや任天堂は小さな企業ではない。例えばCD Projekt Redは彼らより遥かに小さなスタジオだけど、それでもフルボイスの大作ゲームを実現している。だから金の問題ではないはずだ。
CD Projekt S.A. ([ˌt̻͡s̪ɛˈdɛ ˈprɔjɛkt̪]、旧称CD Projekt Sp. z o.o.) は、ワルシャワに拠点を置くポーランドのビデオゲーム開発企業。1994年に、ビデオゲームの小売業者だったマーチン・イウィンスキとミヒャール・キシンスキによって設立された。CD Projektはウィッチャーシリーズと同社のダウンロード販売サービス「GOG.com」で最もよく知られている。
日本ではトップクラスの声優はビッグセレブリティなんだ。
こっちのトロイ・ベイカーやローラ・ベイリーみたいなトップスターが山ほどいる。当然彼らは金がかかる。

トロイ・ベイカー(Troy Baker、1976年4月1日 – )は、アメリカ合衆国の俳優、声優。
ローラ・ドーン・ベイリー (Laura Dawn Bailey、1981年5月28日 – )は、アメリカ合衆国の俳優・声優・歌手・ラインプロデューサー・ ADRディレクター。日本のテレビアニメやアニメ映画、ビデオゲームで英語版の吹き替えを担当している。2011年9月25日にトラヴィス・ウィリンと結婚。
世界には声優のギャラが適切に支払われている場所も存在する

米労働組合SAG-AFTRAのゲーム声優ストライキが96日目に突入、最長記録の次点を塗り替え続く膠着状態
ゲーム業界で活躍する声優および俳優の待遇改善を訴えるインタラクティブメディア協定ストライキが、依然として膠着状態にある。昨年10月に米国の労働組合SAG-AFTRAが協定見直しの交渉決裂から決行に踏み切ったもので、締結企業とのにらみ合いが続いたまま96日目に突入した。
『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』は多額の製作費を投じたブロックバスター大作だけど、一部のムービーパートを除けばボイス無し。正直言って俺はかなり気になったわ。任天堂にそのお金が無かったとは思えない。
┗ブレスオブザワイルドは素晴らしいゲームだったけど、ボイス付きのムービーパートからテキストのみに切り替わることは僕も気に入らなかった。
ゼルダはNPCに話しかけたら「歌を聞かせてくれる」っていうから「それは良いね!是非聞かせてくれ!」ってワクワクしていたら歌詞がテキストで流れるだけでちょっとズッコケたな。
┗カッシーワの歌がテキストのみだったのはちょっと驚いた
デザイン上の優先順位が違うのかもしれない。日本で最も人気を得ているゲームをみても、「没入感」「映画的」「体験」といった宣伝文句はほとんど見かけない。
俺はゼルダは特に気にならなかったけど、むしろ『龍が如く』とか他のJRPGでは気になることが多い。アセットの作り込みやボイスの有無が頻繫に切り替わるせいで、「ああこのシーンは作り込む予算が無かったんだな…」と感じて気が散ってしまう。
┗それによって幅広いコンテンツを作ることができるともいえる。もしフルボイスにした場合、話しかけることが可能なNPCも、寄り道要素の数も、到底フルボイス以前の水準には及ばないことになるはず。ゲーム内容はずっと薄っぺらいものになり、おつかいや反復的な作業でボリュームをかさましするようになるだろう。まさに多くの欧米製オープンワールドゲームがこの罠に陥っているんだけど。
実際『龍が如く6』はファンの声をうけてフルボイス化したらしい
『龍が如く』の音声は日本語のみで英語吹き替えオプションが無いことはとても気に入った。通常、言語オプションがあるゲームは英語を選択するんだけど、あのゲームの日本の声優の演技は最高レベルで、世界観に説得力を持たせることに役立っていた。だから今後、日本を舞台にしたゲームは日本語音声でやってみようと思う。
『ニーアオートマタ』をプレーして、最初のやり取りはボイスが入っているのにすぐテキストのみに切り替わる場面がいくつもあって、とても奇妙に感じた。ニーアは声優陣が素晴らしい演技をみせていただけにそこは残念。
そのゲームが完全にテキストのみであるなら、それはゲームデザイン上の選択として納得いくんだけどね
自分にとってはボイスがあった方が没入感が増すと感じる。文字を読むことは嫌ではないんだけど、あるNPCはボイスがあるのに、別のNPCはテキストのみというパターンは好きじゃない。自分は80~90年代の、ほとんどのゲームにボイスなど存在しない時代に育った人だけど、キャラクターが声を発するようになると、彼らがより個性的で、生き生きとしているように感じられた。
┗俺はゲームを選ぶときに「没入感を得られるか」を基準にしないな。というか、ゲームに「没入感」が必要と思ったことすらない。もしゲームが「没入的」でなければいけなくて、プレーヤーがコントローラーを握っていることを忘れさせるべきであるならば、その目的を達成するために「ボイス」のような機能を持たせることは必要だと思う。個人的にはゲームが「没入的」になる必要性に疑問を感じているけど、没入体験を目的とするならば、その媒体としては映画の方がずっと優れていると思う。
┗「没入感」はエンターテインメントを形容する言葉として無意味な言葉。それは「消費対象に感情的に没頭する」程度の意味にすぎない。ストーリー要素は一切ないプラットフォーマーでも没入することは可能であり、優れた本や、クロスワードパズルでも没入感を得ることはあり得る。何が言いたいかというと、テキストボックスだろうがボイスだろうが没入感の獲得可能性に違いはない。
ゲームにもよると思う。例えばコンパイルハートのゲームはほぼフルボイスだけど、これはファンが望む声優を雇って、そこに製作費の大半を割り当てる前提を共有しているから。
全てはコストの割り当ての問題。
もし『アンチャーテッド4』のような10~15時間のAAAアクションアドベンチャーを買って、それがフルボイスではなかったとしたらたぶんガッカリすると思う
逆に『ペルソナ』や『英雄伝説』のような60時間あるJRPGの場合、ストーリーの進行手段はテキストヘビーになると予測できるからそれはそれで問題ない
どちらのアプローチを取る場合でも、あるいはその中間をとっても、自分はハッピーだけどね。
ここでいうNPCがそれぞれ固有のボイスを持つような「欧米のゲーム」のほとんどはAAA大作タイトルであることは注意が必要。欧米のゲームでも『Pillars of Eternity』のような比較的低予算のゲームは日本のゲームと同じくボイスは一部だけで大半はテキストボックスを読ませる形式。
フルボイスはお前らが思っている以上に超大変なんだよ。ゲームが発売延期する大きな理由の一つでもある。
・声優組合と交渉する手間
・多言語対応は膨大な時間・人員・金がかかる
・一つ何かを変更すると全ての言語の録り直しが必要になる。そうなると延期するかそもそも変えずに放置するかの2択。
・誰が演出やキャスティングを引き受けるのか。ローカライズを手掛ける企業は別の下請け企業にやらせる。これは連絡調整や何より「クオリティ」に影響が出てくる。
・文化的な違いも大きい。日本語のニュアンスを残すのか?英語版プレーヤーに分かりやすいように書き直すのか?これは大きな摩擦を引き起こす可能性がある。
・いざ発売してみると「クソ吹き替え」と嘲笑される。それなら最初からボイスなど入れなければいい。
だってこれだぜ?
実際クソ吹き替えよりはテキストだけの方がいいわ
俺はテキストを読まされるぐらいなら発売延期してほしい。テキストボックスは我慢できないんだ。俺はそういうゲームはプレイできない。
┗つまり君はJRPG黄金期の名作をほぼ全て体験していないのか。それは残念。
僕は「ボイスの有無」をそれほど重要視している人がこんなに存在することに驚いた。ボイスは高価で、複雑で、そしてゲームがリリースしたときに人々が真っ先に批判する対象になる。基本的には他の人が言ってるように(オリジナルとローカライズ両方で)予算/物流上の制約があることが多いと思うけど、ボイスの存在が絶対条件とは考えたことは無かった。若い世代にとってはそうなのだろうか?
俺の場合はボイスがないゲームは、そのキャラクターに合ってそうな声を自分で勝手に想像する楽しみが生まれるからむしろ没入感が増すな
自分はフルボイスよりもメインクエストだけボイスを入れて後はテキストを読む形式にしてほしい。『オブリビオン』とか『スカイリム』の棒読みNPCを体験してしまったらフルボイスが常に正しいとは言えなくなるはず。
お金が理由の場合が多いけど、昨今のゲームはテキストのスピードまでオプションで変更できるから、声優の演技を聞くことを強制されるよりもそっちの方が早いという利点もある。
元々「フルボイス」というものはマルチメディア競争のなかでCD-ROMが大きなアドバンテージを持っていると我々に説得するためのマーケティング材料だったんだ。突如としてゲームの「トーキー」バージョンを売ることが可能になり、ボイスがあるゲームはボイスがないゲームと比べてはるかにクールであるとアピールするようになった。でも実際は初期のゲームの声の演技はクオリティとサイズ圧縮の両方の理由により酷いものだったんだけどね。PCゲームの世界ではボイスはそれほど重要視されなかった一方、そんな理由でゲーム機の方では「ボイス」は非常に重要な存在になっていった。特に『メタルギアソリッド』のようなゲームは質の高い声の演技がゲームに与える価値を示した。
その頃になると、ボイスを持たないゲームを”劣る”ゲームをみなす人も出てくるようになった。「テキストを読むぐらいなら本を読む」「FF7もボイスがあればもっと良いゲームになったのに」人々はこんな話をしていた。当時はニンテンドー64が容量の問題でほとんどボイスを入れることができないことが笑われていたんだ。

主に日本のゲームを日本語でプレイする者としては、あまり気にならないな。でも最近のコーエーテクモのゲームはフルボイスのものが多い。『信長の野望』最新作はほとんどのテキストにボイスが入っていたと思う。それだけでなく『ドラゴンクエストXI』を除けば、僕が最近プレーしたほどんどの日本のゲームは、フルボイスでなくてもある程度はボイスが入っていた。まあ日本のゲームの多くがフルボイスにならない理由は主に3つの理由があると思う。
1.日本は他の国より読書文化が盛ん。公共の場で本を読む人々をコンスタントに目にすることができる。
2.日本では携帯ゲーム機の存在感が大きい。携帯機は容量が小さいため、音声よりもゲーム面に優先順位をおく必要があった。
3.欧米と比較して、声優を雇う費用が高い。パッケージの裏をみると人気声優の名前。
それから『ドラゴンクエスト』シリーズにボイスがない理由は、このシリーズはファミコンやスーパーファミコン時代の伝統を残すことを目指しているから。最近僕にとって最初の「ドラクエ」の英語版を目にする機会があったんだけど、お馴染みのドラクエのフォント無しでプレーするなんて僕には考えられなかった。効果音やBGMも変更/削除され、あの「ボイス」が追加されていたはず。ドラクエⅧのことだ。
このシリーズをプレイしている人は80年代からのファンで、その人気の一番の理由は「今から何をやるべきかはっきり分かる」ゲームスタイル。こういうお約束のあるゲームは昨今ではすっかり珍しくなった。
『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』は、2004年11月27日にスクウェア・エニックスより発売されたPlayStation 2用ロールプレイングゲーム。
アメリカ版やヨーロッパ版では、特にインタフェース面で日本版と異なる部分が多くなっている。移動中の呪文の使用や、アイテムの管理・装備、買い物などは、コマンドウィンドウを開いて行う方式の日本版と違い、サブ画面で行われる。HP・MPのゲージやキャラクターの顔、アイテムのアイコンなどの絵表示も多く取り入れられている。
ストーリー中のイベントの会話ではキャラクターボイスがついており、これは本シリーズでは初の試みである(ただし主人公の名前の部分は読まれない)。この本作へのボイス導入の手ごたえから、後に日本版の『ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔』にもボイスを導入するきっかけとなったと堀井は語っている。BGMは東京都交響楽団によるオーケストラバージョンが使用されているが、オーケストラで録音されていないものは、日本版と同じく内蔵音源である。
それ以外にも、ゲーム開始時のプロローグ追加、戦闘アニメーションの一部変更、一部の効果音の削除、主人公の特技 “Dragon Soul” の追加などが行われている。
ほとんどの日本のゲームは重要なシーンのみボイスを入れて、サイドクエストや重要度の低いパートではテキストのみという形式を採用している。ちょい役のためにボイスを入れても、多くのプレーヤーはサイドクエストやどうでもいい会話をスキップしてしまう傾向にあるから、製作費の無駄遣いになる可能性が高い。
自分はちょっと悪い気がするけどゲーム内でオプションがあれば字幕だけ読んで声優の演技はスキップしてしまうな。『ウィッチャー3』や『ホライゾンゼロドーン』のような声優の演技が良いゲームでさえもね。せっかちな性格は直す必要があるのかもしれないけど、自分にとっては声がなくても気にならないということだろう。誰もが自分と同じというわけではないと思うけど、お金を節約するためにボイスを削っている開発者にはそれで大丈夫と言いたい。
本当に優れた声優は、ゲームにとってプラスになる。でもゲームはアクティビティ、動画、音声、テキストの混合メディアだ。ゲームと映画の違いは、ゲームはプレーヤーのペースで体験することが可能で、本を読むかのように立ち止まって、休憩したり、熟考しながら進めていく。それに合わせてテキストや会話も、映画とは異なる独自の文脈で使われる。ゲームのテキストは多くの制約を受けつつ発展し、独自の芸術へと昇華したものなんだ。
ゲームが声優を起用しないことの背後にある理由は予算上の都合だと思うけど、ゲームは映画ではないから実際にはそれほど重要ではないと考えている。映画を観ているような「没入感」を必ずしも模倣する必要はない。
少なくとも日本ではボイスの有無は売り上げにほとんど影響を及ぼさない。ドラクエXIはボイスが無いけど、それでもゲームは成功した。
実際はゲームに依存するところが大きい。例えば『メタルギアソリッド』シリーズのような映画的なゲームはボイスがある。ビジュアルノベルやギャルゲーの場合も、セールスポイントはキャラクターにあり、ユーザーはそのキャラが話すことを期待しているので、ボイスがある。これがJRPG、特にドラクエのような伝統的なスタイルのJRPGになると、ボイスはそれほど期待されていないので、最初から入れなかったり、重要な部分だけ声を入れたりする方式をとる。
予算がないわけではないんだ。ビジュアルノベルや”eroge”の世界は1万~5万本程度しか売れないタイトルだらけだけど、それらは大量のテキストのほとんどにボイスが入っている。しかし伝統的なゲームではそれは必須要件とはみられていないので、クリエイティブ上の理由からそれをやらずに少しでもお金と人材を節約する企業もある。
上1「なぜ日本のゲームの大半はボイスではなく未だにテキストボックスを使っているのか」
下3「ゲームはテキストボックスに回帰すべきである」
平常運転だな

ファンの要望に応えてフルボイス化した結果(それだけが理由ではないにせよ)、全体のボリュームが激減した龍が如く6みたいな例もあるので、テキストと声の演技を混在させる手法は質と量の丁度いい妥協点なのかも。
面白いものはボイスがあろうがなかろうが面白い
フルボイスゲーよ束になってかかってこい
RPGに関わらずアドベンチャーでも同じことが言えるが
声があることでボイス無しの歴代名作を超えられるってんなら俺も意見を曲げよう